2009年06月26日

企業は外需の収益悪化

企業は外需の収益悪化・受注減少、2009年問題などにより、派遣社員や期間工、そして正社員の人員削減を進めざるをえない状況となり、2009年3月末までに失われた非正規労働者の雇用は19万人に達した[11]。この人員削減が個人消費を落ち込みませ、内需を悪化させることで更なる人員削減を招くという悪循環が生じるとの分析もある[12]。

また2007年、安倍内閣での度重なる閣僚の不祥事による政治不信に加え、マスコミの報道などにより国民の間で年金不信が高まった[13]結果、参院選で与党が敗北していわゆるねじれ国会が生じた。野党は与党の支持を落とすため、審議拒否を行い[14]、与党の機動的な政策運営の手足を縛る要因となっている。また、与党内部でも党内主流派と「麻生内閣では選挙に勝てない」という反主流派との内部対立が表面化し、日本の政治面もまた、政治が動けないことで麻生政権の支持率が落ち、支持が低いために効率よく政治を動かせない、という悪循環に陥った。西松建設事件のさいの民主党の対応のまずさで支持率は下げ止まったかに見えたが、直後のかんぽの宿問題で麻生首相はさらに拙劣な対応をとってしまい、鳩山総務相の離反を招いて支持率はふたたび下落、麻生政権は政治を動かすどころかレームダックに陥りつつある。
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日本の2008年10-12月期の実質国内総生産(GDP)速報値は前期比3.3%(年率換算で12.7%)のマイナスとなり、第一次石油危機に次ぐ約35年ぶりの下落幅を記録した。これは危機の震源地アメリカをも超える大幅下落であり、外需に依存し内需を軽視してきた日本経済が弱点を突かれた形となった。しかも続く2009年1-3月期は前期比4.0%(年率換算で15.2%)減と第一次石油危機を超える下落幅となった。

しかし急激な円高は高騰していた原料・燃料の価格を下げる効果ももたらした。これに麻生内閣による自家用車高速道路優遇措置が加わり、日本国内における消費の低迷にはある程度の歯止めがかかった。もとより収益を国内販売に頼っていたスズキ、ダイハツ工業(トヨタとの連結前)、本田技研工業等は黒字に踏みとどまった。また輸入ブランド品の末端販売価格の引き下げが可能となりこれらを取り扱う流通業者では増収となった。このため一時期7000円台にまで落ち込んだ日経平均株価は2009年5月の段階で9500円台にまで上げており、先進国の中では素早い回復であった。米国ゼネラルモーターズ社破綻で起こり得ると予測されたショック安は日本では起こらなかった。失業率も米国を始めとする多くの先進国で倍増する中、2ポイント増程度で歯止めがかかりつつある。

このため、今後はさらに強力な財政政策による内需拡大、大規模な金融緩和による景気刺激策が期待されている[15]。

2009年06月10日

減力放送(げんりょくほうそう)とは

減力放送(げんりょくほうそう)とは、放送局の送信施設の修理・調整などのメンテナンスのため、本来使用する送信機の使用を停止し(通常使用の状態では装置類に高電圧・大電流が流れており非常に危険な為)、出力がやや弱い予備の送信機を使って放送を行うことをいう。その場合、本来のサービスエリアであっても受信状態が若干劣る場合もある。減力放送の送信場所は原則として通常の送信所と同じ位置だが、東京では通常の送信所とは別の場所に予備(非常用)送信所がある。なお、実際に出力が下がるのは基幹送信所のみでほかの中継局は減力放送であっても通常の送信出力のままで放送される。

NHKの場合、総合テレビ(アナログ放送のみ)、ラジオ第1放送、FM放送の24時間放送を行う地上波放送で、主に日曜日の深夜?月曜日の未明(特に第1、第3日曜深夜?月曜未明が多い)と年2回程度(上半期は9?10月、下半期は2?3月)の特定された期間にそれを行うことがあり、実施する場合は放送でそれの開始直前に告知を行う。これにより大掛かりな点検以外の時は停波しなくなり、災害の時や臨時ニュースの時すぐ放送できるようになっている。

民間放送の場合、放送休止中に出力1kW位の予備送信機(予備送信所)の点検の為行う。本放送の時は行わない。
感染症
ケーブルテレビ
インフルエンザ
バイオリズム
戯曲
天体
喜劇
真菌学
日本画
宇宙ステーション
地層の作り
神社案内
未知の宇宙
脳と神経
日本の重要文化財
下町東京
広島の歴史
不動産用語
サンタはどこ
牛の生涯

北海道地方の総合テレビの場合は札幌放送局からお知らせがアナウンサーまたは地域女性キャスターからの告知により入り次の番組に入る直前に予備送信機に電波を切り替える(ジャンクション=君が代や動物のアニメーション=は放送されない)が東京のように一瞬画像が途切れたり、乱れたりすることはない。ラジオ第1放送の場合は送信機切り替えの際、一瞬音声が途切れる。
また、札幌放送局のラジオ第2放送の場合は毎月1回、日中の時間帯(10:35?16:00)に減力放送を行っている。お知らせの対象地域は北海道内全域となる。(総合テレビ、教育テレビ、ラジオ第1、FM放送共通で音楽が入る)ただし、札幌放送局からの放送休止・減力放送のお知らせで該当地域が札幌局のみの場合、札幌以外の北海道内の各放送局(函館・旭川・帯広・釧路・北見・室蘭)にはお知らせは放送されない(そのかわりにネット送出の映像・音声の放送となり、テレビではジャンクション映像が。ラジオ第1はラジオ深夜便の世界の天気のBGMが。FM放送は名曲スケッチが時報寸前まで放送される)。放送休止中に臨時放送が入った場合は臨時放送の終了後、しばらくしてから番組を一時中断し、再度放送休止・減力放送のお知らせが入る(ラジオ放送のみ)。お知らせの放送時間はラジオ第1放送は1分間、FM放送は30秒間となっている。

尚、現在、札幌放送局から北海道地方向けに流れる放送休止・減力放送のお知らせ(告知アナウンスは事前に収録したもの)はラジオ・FMでは今でも北海道ローカルで流れているが、テレビでは東京からのジャンクション映像に札幌放送局からの告知テロップの表示に乗せて行っている。北海道地方のテレビ放送での「減力放送中(一部地域のみ)」のテロップ表示は実施地域に関係なく札幌放送局から出している。

2009年06月06日

萩焼(はぎやき)は山口県萩市一帯で焼かれる

萩焼(はぎやき)は山口県萩市一帯で焼かれる陶器。一部長門市・山口市にも窯元がある。長門市で焼かれる萩焼は、特に深川萩(ふかわはぎ)と呼ばれる。

古くから「一楽二萩三唐津」と謳われるほど、茶人好みの器を焼いてきたことで知られる焼き物である。萩焼の特徴は原料に用いられる陶土とそれに混ぜる釉薬の具合によって生じる「貫入」と使い込むことによって生じる「七化け」がある。貫入とは器の表面の釉薬がひび割れたような状態になることで、七化けとはその貫入が原因で、長年使い込むとそこにお茶やお酒が浸透し、器表面の色が適当に変化し、枯れた味わいを見せることである。素地の色を生かすため、模様は地味だが根強いファンが多く、市内界隈には新規を含め、多数の窯元が存在する。
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萩焼は慶長9年(1604年)に藩主毛利輝元の命によって、朝鮮人陶工、李勺光(山村家)李敬(坂家)の兄弟が城下で御用窯を築いたのが始まりとされる。よって当初は朝鮮半島の高麗茶碗に似ており、手法も形状も同じものを用いていた。坂家の三代までを古萩といい、萩焼の黄金時代である。後に兄弟はそれぞれ別々の流派を生み出したが、李勺光の系統、山村家は後に断絶した。一方で、明治期より苦境に立たされており、その時に休雪が休雪白という独特の作風を確立し、萩焼を中興している。文化財の指定は意外と時間がかかっており、2002年1月に漸く、経済産業省指定伝統的工芸品の指定を受けた。

2009年04月23日

極限状態でのタブー

人が極限状況に置かれた場合や社会が戦乱や飢饉などで窮乏した場合、食のタブーが弛み、禁忌とされる食材や人肉までもが消費されることがある。これは餓死の危険が迫ったときに自己保存本能がやむなく慣習に優先するためであるが、タブーを破る現象は衝撃的で多くの人に生理的嫌悪を感じさせるため、センセーショナルに報道されやすい。
イギリスの文化人類学者、メアリー・ダグラスの『汚穢と禁忌』によれば、食の禁忌は分類上の落ちこぼれが持つ中途半端な属性がケガレとされたことに理由があるとされている。例えば牛やヤギは四足で蹄が割れており反芻胃を持つのに対し、豚は蹄が割れているが反芻をせず、また兎は反芻はするが蹄が割れてないなど、分類上中途半端であるがゆえに禁忌とされたことになる。

健康上の理由が禁忌につながった可能性もある。たとえば、未調理の豚肉を食べることは旋毛虫病、E型肝炎に罹患する恐れがあり、多くの海産物も食中毒の恐れが高いとされる場合があるが、これらの考え方は俗説にすぎないという批判もある
多くのヒンドゥー教徒はどんな肉も全て忌避する。特に牛はヒンドゥー社会では神聖なものであるとされ、ほとんどのヒンドゥー教徒は牛肉を食べない。しかし過去、カーストに属さない不可触賎民は屠殺を生業とすることがあり、牛肉を食べることがあった。現在、牛肉食はインドでもところどころで受け入れられるようになってきた。インド産以外の牛肉なら食べてもよいと考えるヒンドゥー教徒もいる。また、水牛は関係なく、宗教上食べても問題ない[要出典]。牛乳や乳製品は禁忌とはされない。

台湾の年配の人たちにも牛肉食を控える傾向がある。牛は農業に有用なので食べることは間違っていると感じられるからである。また、カナダのアカディア人もかつては役畜としての役割を終えた牛のみを屠殺して食用にした。

モーゼ法の時代から、厳格なユダヤ教徒は馬肉を食べない。馬はひづめが割れていないし反芻もしないので、この肉を食べることは禁じられている。しかしながら、イスラム教圏の国では馬は禁忌ではないが避けた方がよいとされる。

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英語圏では馬肉はタブーとされることが多く、馬肉の供給はしばしば非合法でさえある。ロブスターやラクダのように、ユダヤ教やキリスト教のある宗派にとっては馬肉が禁じられている。西暦732年に、トゥール・ポワティエ間の戦いの直後に軍馬の供給が重要視されたため、教皇グレゴリウス3世はユダヤ教の禁止令と同じくレビ記にもとづき、異教の「嫌悪感を催す」馬肉食の風習をやめる取り組みを始めた。1000年にアイスランドにキリスト教を布教した際、教会関係者はアイスランド人に馬肉食を禁じないことを約束せねばならなかった。

馬肉に対する態度には文化的に近い民族や同じ民族の中でも大きな違いがある。例えばフランスではイギリスと違い必ずしもタブーではなく、大韓民国では馬肉食の習慣は一般的ではないが馬産の伝統が長い済州島は例外である。日本では名馬の産地として知られた東北地方など地方によってはかなり古くから食べてきたが、競馬関係者及び競馬愛好者の間での馬肉食はタブー視されている。また、コンビーフやソーセージなどにも馬肉が入っていることもある。

2009年04月22日

分裂の時代と再統一後の建築活動

東ローマ諸公国のうち最も活動的であったニカイア帝国は、多くの建築を建立したが、そのほとんどは現在には残っておらず、確実なことは言えない。

ニカイア帝国と勢力を競ったエピロス専制侯国は、王室の活発な建築活動が認められ、洗練された建築物とは言えないものの、礼拝堂建築が数多く残る。アルタにはエピロス建築の傑作とされるパリゴリティサ聖堂があり、その近郊にはカト・パナギア聖堂(1231年)やブラケルネ修道院、トリカラにはポルタ・パナギア聖堂(1283年)がある。エピロス王室はシチリア島のホーエンシュタウフェン家やヴィルアルドゥアン家との婚姻関係があり、これらの建築には西欧風の特色が認められる。このため、エピロスの建築は革新的なものが多いが、ニカイア帝国との争いに破れ、消滅してしまったために、その建築が最末期のビザンティン建築に継承されることはなかった。

トレビゾンド帝国には、首都トレビゾンドに皇帝マヌエル1世によって建設されたハギア・ソフィア修道院のカトリコンが現存している。グルジア王国の影響をうけた平面構成が認められるが、グルジア王国とルーム・セルジューク朝に挟まれたこの帝国のその他の建築活動については、あまり研究されていない。

ニュー エイジ メダリスト スポラ ぽち袋 スモーカー ブックレ リピート ハナイカダ チェーン レーター トゥース フェンス 大蔵大根 ろくまい サンパウロ とわだ シロップ たかね トロライト ブッサ ブレー シュノ ゴツコーラ チューブ インソール シルク 黒かぼ 愛宕柿 モーター ローンチ ゲリララ ヒッコリ ピタ最適 リシック サーチ恋路 オクイ パーカ シンクロ パンチャー バリティー ミャン シート フラン アップ ハンマ ティッシモ デトロ 万寿国 ブルー

1261年のニカイア帝国によるコンスタンティノポリス奪回後、コンスタンティノポリスではビザンティン文化の最後の華が開花した。いわゆる「パレオロゴス朝ルネサンス」である。しかし、この時期に建設された教会堂は、中期ビザンティン建築の伝統を墨守したものであって、他の文化活動にみられるような初期ビザンティンの、ましてや古代ローマの伝統を復興させるようなものではなかった[29]。コンスタンティノポリスでの建築活動は1261年から1330年頃までのわずかな期に認められるのみで、以後は完全に停滞した。

ミカエル8世の皇妃テオドラの開設したコンスタンティノス・リプス修道院南聖堂は1280年代の建立と思われ、既存の北聖堂を拡張するように建設された円蓋式バシリカに近い聖堂である。1310年に着工されたパナギア・パンマカリストス修道院付属礼拝堂は4円柱式の教会堂で、外観はほとんど立方体に近く、バルカン半島で認められる模様積みなどは認められない。これらの聖堂は、ほとんどが単純な矩形面であり、外部のデザインを優先してドームを多くかつ高く設計しているため、内部空間には広がりがなく、井戸の底にいるかのような印象をうける。そして、恐らく他のよく残存している教会堂と同じく、内部は説話に基づく絵画で覆われていた。

1316年に起工したコーラ修道院は、政治家テオドロス・メトキテスによって既存の教会堂を改築したものである。建築的に見るべきものは何もないが、内部のフレスコ画は末期ビザンティン美術の傑作と言われている。コーラ修道院に代表されるパレオロゴス朝の壁画では、写実性の向上と、初歩的ではあるものの遠近法の発達が認められ、これが後に西欧のルネサンスにつながるとされる由縁となっている。

パレオロゴス朝の皇子達が封じられたモレアス専制公領の首府が置かれ、ペロポネソス半島を実効支配したミストラ城塞都市は、現在では完全な廃墟であるが、末期ビザンティンの都市景観を最もよく遺している。ミストラの宮廷は周囲のフランク諸公国との婚姻関係もあったので、宮殿建築には西欧風の要素が認められる。ミストラ宮殿は1250年頃から1350年頃、1400年頃、1460年頃の3期にわたって建設され、その構造体には尖頭アーチの窓、リブ・ヴォールトといったゴシック建築の要素が散見する。宮殿の内部装飾が残っていないため明確ではないが、全体としてはビザンティン建築の伝統ではなく、西欧の宮殿建築の影響の方がむしろ強い。

末期東ローマ帝国時代に建設された修道院としては、聖アタナシオスの創建したメテオラがある。最も古いイパパンティ修道院は1366年に建設され、1388年にはメテオラ最大となるメガロ・メテオロン(メタモルフォシス修道院)が建立された。東ローマ帝国滅亡(1453年)後も、14世紀から18世紀にかけて、さらに5つの修道院が建設されている。

2009年04月05日

OL

OL(オーエル、また Office Lady、オフィスレディー とも)とは、「女性の会社員や事務員」を意味する和製英語である。女性雑誌『女性自身』の編集長であった桜井秀勲のもと、提唱され定着した造語といわれる。

英語本来の表現としては office worker(オフィス従業員)や company employee(会社員)がこれにあたるが、通常これらには female を付けて「女性のオフィス従業員」などとはしないので注意
「女性会社員」を表わすことばとしては、かつては “business girl” の頭文字を取った「BG」[2]というものがあった。しかし「英語で BG は Bar Girl のことで、これは売春婦という意味」という噂[3]が東京オリンピックを翌年に控えた1963年に広まったため、週刊誌『女性自身』が「東京オリンピックで来日する外国人の誤解を防ぐため」これを使わないようにしようと提案。誌上公募を行った結果、上位にあった「OL」を「BG」の代替語に選出した。

この「OL(オフィスレディー)」は、当初は公募結果の第1位と発表されていたが、後になって本当のトップは「OG(オフィスガール)」だったことが公表された。当時の編集長である桜井秀勲が「オフィスガール」だとどうしても「職場の女の子」という感覚になることを嫌い、「自立した働く女性に相応しい」名称となることを期待してこれを「オフィスレディー」と改めた[4]のだという。

OLの定義 [編集]
OLとは、企業の補助的な業務を担当する一般職の女性社員もしくは女性事務員のみを指す語である。したがって同じ会社員でも総合職であったり、役職がついたりするとOLとはもう言わない。女性の警察官、自衛官、消防士、医師、看護師、パイロット、船員、弁護士、公認会計士などといった高度に責任を有するまたは高度な国家資格を要する職業は、OLの中には含まれないことが多い。[5]。

採用 [編集]
制服を着用して、専らオフィス内のデスクワークや事務整理に従事している女子社員の多くは、一般職や派遣社員である。 最近は地域総合職やエリア総合職という地域を限定した総合職もある。

ステンレス トマホーク バスク ダンプカー スポード プラーク スタミナ メード オーダー ケーブル 浮き桟 ミシガン マイカ トレビ レーン ベニトアイト リップ シェフ コムサット スプラ チオノ タイト サフー ナウシカ パラレル マッカー しらさぎ ミュージア カフェオ バート ベリー レガシー きくすい ジェジェ ダイオプ チャツ フレンチキ ソフト トラコーマ アンデス スエズ 五節の舞姫 ギョーザ ステミン イバル オード ラップ ローマ フェルミ ヘマタ


2009年03月21日

京都駅?博多駅。昼行特急。

特急列車 2往復
「かもめ」 京都駅?博多駅。昼行特急。
「あさかぜ」 東京駅?博多駅。夜行列車で、関西圏を深夜通過する時刻設定であった。
急行列車 10往復
昼行列車
「筑紫」 東京駅?博多駅
「安芸」 東京駅?広島駅(呉線経由)
「さつま」 東京駅?鹿児島駅
夜行列車
「阿蘇」 東京駅?熊本駅(筑豊本線経由)
「西海」 東京駅?佐世保駅
「高千穂」 東京駅?西鹿児島駅(日豊本線経由)
「霧島」 東京駅?鹿児島駅
「雲仙」 東京駅?長崎駅
「天草」 京都駅?熊本駅
「玄海」 京都駅?長崎駅(大村線経由)
準急列車 3往復
305・306列車 京都駅?広島駅。昼行。
307・308列車 大阪駅?広島駅。夜行。
405・406列車 広島駅?長崎駅(大村線経由)。昼行。

新幹線以前の黄金時代 [編集]
1957年(昭和32年)7月 東京駅?博多駅間に「あさかぜ」の補助列車として下りは30分先行、上りは30分後発する時刻に、臨時特急「さちかぜ」を設定。
1957年(昭和32年)10月 「さちかぜ」を定期列車に格上げし、運行区間を東京駅?長崎駅間に変更。
「玄海」は京都駅?鹿児島駅間運転となり「桜島」に改称。準急307・308列車は京都駅発着となる。
1958年(昭和33年)4月 山陽本線姫路駅まで電化完成。優等列車は姫路駅まで電気機関車牽引となる。 
1958年10月 ダイヤ改正に伴い、以下のように変更。
特急列車
「あさかぜ」に寝台特急専用車両である20系客車を用いはじめる。
それによって余剰となった客車を用いて東京駅?鹿児島駅間に「はやぶさ」を設定。
「さちかぜ」は「あさかぜ」と名前が紛らわしく、誤乗が絶えなかったこともあって「平和」と改称。
急行列車
「さつま」は、門司港駅始発と大幅に区間短縮。その本州部分時間帯での代替列車として、広島駅?門司駅間に準急407・408列車が設定される。
「桜島」は博多駅までに区間短縮されて「玄海」と再改称。
準急305・306列車は急行列車に格上げされ、「宮島」と命名。
1959年(昭和34年)7月 以下のように変更。
「平和」に20系客車を導入し、「さくら」と改称。
京都駅?大分駅間に、「天草」に門司駅まで併結される形で急行「くにさき」を新設。
1959年9月 以下の準急列車に列車愛称を与える。
307・308列車…「ななうら」、405・406列車…「ふたば」、407・408列車…「長門」
1960年(昭和35年)5月 博多駅?長崎駅間に気動車準急「ながさき」新設に伴い、「ふたば」は博多駅打ち切り。
1960年6月 以下のように変更。
東京駅?西鹿児島駅間に不定期急行「桜島」を設定。
「くにさき」は、都城駅まで運行区間を延伸し、「日向」と改称。
岡山駅?博多駅間にキハ55系による気動車急行「山陽」新設。「ふたば」は「山陽」に道を譲って廃止。
気動車準急として、 岡山駅?広島駅間(呉線経由)に「吉備」、 岡山駅?岩国駅間に「にしき」新設。 
1960年7月 以下のように変更。
等級制度の改変によりそれまでの一等車が廃された上で、二等車が新しく一等車に、三等車が二等車になった。
「はやぶさ」の運行区間を東京駅?西鹿児島駅間に変更し、同時に20系客車を導入。
1960年10月 山陽本線倉敷駅まで電化完成。優等列車は岡山駅まで電気機関車牽引になる。 
1961年(昭和36年)6月 山陽本線小郡駅?下関駅間、鹿児島本線門司港駅?久留米駅間電化完成。気動車、客車列車の優等列車に影響なし。
1961年10月 「サン・ロク・トオ」と年月を取って呼ばれる様になるほどの、1950年(昭和25年)10月以来というべき大規模なダイヤ改正が行われ、全国各地で特急・急行・準急列車が大増発となる。日本の動脈というべき東海道本線と山陽本線においては、それが特に力を入れて実施されることとなった。このとき、山陽本線三原駅まで電化完成。
特急列車
「かもめ」がキハ82系を用いて気動車化され、京都駅?宮崎駅・長崎駅間(門司駅まで併結)運転となる。
同じ気動車を用いて大阪駅?広島駅間に「へいわ」、大阪駅?博多駅間に「みどり」(運行開始は12月)新設。
毎日運転の不定期列車として東京駅?熊本駅間に「みずほ」新設。
急行列車
気動車急行として広島駅?別府駅間に「べっぷ」、客車急行として東京駅?大分駅間に「ぶんご」(門司駅まで「筑紫」と併結)、大阪駅?佐世保駅間に「平戸」、寝台専用列車として、大阪駅?熊本駅間に「ひのくに」、大阪駅?広島駅間に「音戸」新設。
「雲仙」と「西海」は併結運行となる。
不定期では、大阪駅?博多駅間に「はやとも」、大阪駅?南延岡駅間に「第2日向」、大阪駅?長崎駅間に「第2玄海」が新設。
「阿蘇」・「さつま」は名古屋駅発着に、「玄海」は長崎駅発着に変更。「宮島」は気動車化。
急行形のキハ58系気動車が「宮島」「べっぷ」「山陽」などで運行を開始。
準急列車
東海型電車とよばれた153系電車によって大阪駅?三原駅間に「びんご」、キハ55系気動車によって広島駅?小郡駅(現、新山口駅)間に「周防」が新設され、「長門」も気動車化の上で小倉駅行きとなった。
この結果、山陽本線の優等列車は下記のようになった。

昼行特急列車 定期3往復
「かもめ」 京都駅?長崎駅・宮崎駅 82系気動車
「みどり」 大阪駅?博多駅 82系気動車
「へいわ」 大阪駅?広島駅 82系気動車
夜行特急列車 定期3往復・不定期1往復
「あさかぜ」 東京駅?博多駅 寝台列車 20系客車
「はやぶさ」 東京駅?西鹿児島駅 寝台列車 20系客車
「さくら」 東京駅?長崎駅 寝台列車 20系客車
「みずほ」 東京駅?熊本駅 寝台列車 在来形客車(不定期列車。実質は毎日運行)
昼行急行列車 定期6往復
「べっぷ」 広島駅?別府駅 58系気動車
「山陽」 岡山駅?博多駅 58系気動車
「安芸」 東京駅?広島駅(呉線経由)
「筑紫」・「ぶんご」 東京駅?博多駅・大分駅
「さつま」 名古屋駅?鹿児島駅(京都駅?岡山駅間で大社駅発着の「だいせん」併結)
「宮島」 大阪駅?広島駅(呉線経由) 58系気動車
夜行急行列車 定期10往復・不定期4往復
「霧島」 東京駅?鹿児島駅
「日向」 京都駅?都城駅
「ひのくに」 大阪駅?熊本駅 寝台列車
「雲仙」・「西海」 東京駅?長崎駅・佐世保駅
「玄海」 京都駅?長崎駅
「天草」 京都駅?熊本駅(筑豊本線経由)
「平戸」 大阪駅?佐世保駅
「阿蘇」 名古屋駅?熊本駅
「高千穂」 東京駅?西鹿児島駅(日豊本線経由)
「音戸」 大阪駅?広島駅(呉線経由) 寝台列車
「桜島」 東京駅?西鹿児島駅(不定期)
「はやとも」 大阪駅?熊本駅(不定期)
「第2日向」 京都駅?南延岡駅(不定期)
「第2玄海」 京都駅?長崎駅(不定期)
準急列車 6往復
「吉備」 岡山駅?広島駅(呉線経由) 気動車昼行
「長門」 広島駅?小倉駅 気動車昼行
「周防」 広島駅?小郡駅 気動車昼行
「にしき」 岡山駅?岩国駅 気動車昼行
「びんご」 大阪駅?三原駅 電車昼行
「ななうら」 京都駅?広島駅(呉線経由) 客車夜行
1962年(昭和37年)4月 広島以西に重点を置いた時間帯設定であった「周防」の利用率が高かったことから、その増発も兼ねて広島駅?下関駅間に準急「やしろ」新設。「周防」も2往復に増発された。
1962年6月 山陽本線広島駅まで電化完成。
東京駅?大阪駅間を運転していた特急「つばめ」2往復の内、1往復が広島駅発着となり、代わりに「へいわ」が運転開始から僅か8ヶ月で廃止となる。
「宮島」は東京駅?広島駅間(山陽本線経由に変更)運転となる。さらに電車化されて2往復(東海道区間で昼行・夜行が1往復ずつ)に増発される。なお、「宮島」は日本最長距離運転の定期電車急行(894.8km)となり、以後、この記録は破られることはなかった。
この両列車は、瀬野駅?八本松駅間の急勾配を151系電車、153系電車では出力不足のため自力で登ることができず、上り列車においてはEF61形などの補機を連結して登坂することになった。
「びんご」は2往復に増発。「にしき」は呉線経由となる。
1962年(昭和37年)10月 以下のように変更。
「みずほ」は定期列車に格上げ。
「音戸」は下関駅まで運転区間を延長。
「さつま」と「だいせん」はそれぞれ単独運行に。
どんどん橋 バンケット ドラント カステラ セルフ ターン トーチカ ピアサポタ リーバス クロラール キッチ かほく ビジター スピカ 大地の景色 モンゴル 真昼の月日 ドス上位 オーバリ マグネ クロマト モンタント やんぐこ セレス カウハイド ハナショ たそがれ フカロッ ヒノキ ベット カリス マニキ こちんだ バイサイド ラフ アウト タイガー キュラ やまびこ ブーム 大冒険 スケット トランス ハーレム クライ ジンマカオ バック ロスマリン キレイ モアイ

「安芸」は寝台列車化。
1963年(昭和38年)4月 岡山駅?広島駅間に、80系電車を使用して準急「とも」2往復新設。
1963年6月 以下のように変更。
「みずほ」に20系客車を導入。同時に大分駅発着編成を連結するようになる。
小倉駅まで「べっぷ」と併結する形で、広島駅?長崎駅間に気動車急行「出島」新設。
1963年10月 大阪駅?西鹿児島駅間に、急行「しろやま」新設。
同列車は、九州の重要地である福岡市などを深夜に通過するという、斬新なダイヤを組んだ。
1964年(昭和39年)3月 「べっぷ」と「出島」が分離され、「出島」は呉線の呉駅発着となった。

2009年03月06日

独立戦争が始まった時

独立戦争が始まった時、イギリスはアメリカ植民地に対し圧倒的な海軍力を誇っていた、帝国海軍には100隻以上の戦列艦と多くのフリゲートやその他小さな艦船があった。ただし、老朽艦が多く、最初の海軍大臣サンドウィッチ伯爵が非難していたようにあまり整備が行き届いているとは言えなかった。開戦後の3年間、海軍は主に陸上兵力の移送と商船の護衛に使われていた。アメリカ植民地側には、戦列艦など1隻も無く、イギリスの商船を襲う私掠船に頼るところが大きかった。私掠船は、フランスが戦争に加担する前からそしてその後もフランスのイギリス海峡に面した港を拠点として活動していたので、帝国海軍を困らせ英仏関係をこじれさせていたが、その物質的な戦果の割には戦争全体に与える影響が小さかった。大陸会議は1775年10月にアメリカ海軍の創設を承認したが、小さなものだったので主に商船への襲撃に用いられていた。ジョン・ポール・ジョーンズ船長が1778年3月24日に英国艦HMSドレークを捕獲し、アメリカ海軍では最初の英雄になった。この海戦はイギリス海軍に対する最初のアメリカ艦船の勝利でもあった

フランスが戦争に加担したことで、イギリス海軍の優越性はそれ程のものではなくなってきた。しかし、フランスとアメリカの連合軍は1778年のロードアイランドの戦いや1779年のサバンナの戦いではうまく機能しなかった。その原因の一つはフランスとアメリカの軍事的な優先順位が異なっていたことにあった。フランスは、アメリカの独立を確保する前に、西インド諸島にあるイギリスの占領地を取りたかった。フランスからアメリカに対する財政的な援助は既に厳しい段階に来ていたので、1780年7月にロシャンボー伯爵が率いる大部隊が到着するまでは、軍事的にあまり有効な結果に繋がるまでには至らなかった。

スペインがアメリカ側で参戦した意図には、1704年にイギリスに占領されたジブラルタルとメノルカ島を奪い返すということも含まれていた。3年以上にわたってジブラルタルの包囲戦を行ったが、イギリス軍守備隊は頑強に守り抜き、1780年のサン・ビセンテ岬の月光の海戦におけるロドニー提督の勝利の後は補給も適って防衛できた。それでもフランスとスペインは何とかジブラルタルを取ろうとしたが、失敗に終わった。メノルカ島の方は1782年2月5日にフランスとスペインの連合軍で奪取に成功し、スペインは独立戦争後も正式にイギリスから領有を認められた。

西インド諸島およびメキシコ湾岸
西インド諸島では多くの戦闘が行われ、特に小アンティル諸島では何度も支配者が入れ替わることがあった。1782年4月のセインツの海戦でイギリス海軍のロドニー提督がフランス海軍のド・グラス伯爵の艦隊を打ち破り、フランスとスペインの連合軍が目指していたジャマイカなどイギリス植民地奪取の望みを絶った。1782年5月8日、スペイン領ルイジアナ総督であったベルナルド・デ・ガルベス伯爵が、バハマのニュープロビデンス島にあったイギリス海軍基地を占領した。このような結果にも拘らず、フランスが占領したトバゴ島の小さな島を除いて、1783年の休戦後は西インド諸島での支配関係を開戦前の状態に戻すことで合意された。

メキシコ湾岸では、ガルベスが1779年にマンチャックの戦い、バトンルージュの戦いおよびナチェズの戦いでミシシッピ川沿いにあったイギリスの基地を占領した。ガルベスは続いて1780年にモービルを占領し、1781年にはペンサコーラのイギリス軍基地を降伏させた。この結果、スペインは1783年の休戦時に東フロリダと西フロリダを獲得できた。

インドおよびオランダ
北アメリカの戦争の余波はインドでの英仏間の争いにも飛び火し、1780年の第二次イギリス=マイソール戦争という形になった。マイソール王国の支配者でフランスとの同盟の中心人物であったティープー・スルタンがマドラスのイギリス政府に対抗した。第二次イギリス=マイソール戦争はマンガロール条約で休戦となった。これはインドの歴史でも重要な文書である。というのも、インドの民族にとって、イギリスに腰を低くして休戦を請わせるように仕向けた最後の機会だったからである。ウォーレン・ヘイスティングはこれを屈辱的な講和と呼び、国王と議会に「イギリス国民の信義と名誉が等しく侵害された」としてマドラス政府を罰するよう訴えた。
シンビジ 検索ゆに 日光街道 熱帯魚 パース サーチ秀月 サンバ しべつ ジギタリ ドロス 章姫 ひまわり 風の森 リミング フラメンコ オライタイ トロイ オスロ バルバ バハマ タイリン 透明人間 アルコ いとの キーワ ランチドポ ハイフ 未来の果実 テイステ 若菜摘 コリーナ マントル ぼうし チャレン いながき マナウス ブイシネマ ネイショ プロ うすき ブリュッセ リコソウ プレメイ ウォーム よりどころ 流星 メリー たくぼ ひない クロス

1780年イギリスは武装中立同盟に関わったネーデルラント連邦共和国に対し先手を打って攻撃した。武装中立同盟はヨーロッパの数カ国が中立国船舶の航行の自由と禁制品以外の物資輸送の自由を宣言したものであったが、その結果はヨーロッパではイギリスが孤立する形になった。イギリスはネーデルラントが公然とアメリカ反乱軍を援助するのを許したくはなかった。アメリカ独立戦争によって刺激されたオランダ急進派の扇動とオランダ政府のアメリカに対する友好的な態度が、イギリスの攻撃を呼ぶことになった。第四次英蘭戦争は1784年まで続き、オランダの商業経済に破壊的な影響をもたらした。

2009年02月14日

DiaboLiQuE

異端のデアボリカアズライトは、ある田舎町で凶(まがき)を狩る仕事を請け負う。しかしデアボリカに対する町の人々の恐怖心から、アズライトは町外れの民家の一室に寝泊りする事となる。そしてデアボリカを恐れ疎む町の人々は、アズライトの元に滞在中の生贄として一人の少女を連れてくる。連れて来られたのは、慰み者として町で飼われている少女レティシアだった。このレティシアとの出会いが、アズライトの安息の地を求める旅路の始まりとなる。

アズライト
本作の主人公で、ロードデアボリカの一人で、闇のデアボリカ。自ら記憶を落とし、人間の為にデアボリカや凶を狩る仕事を請け負いだしたため、他のデアボリカから「同族殺し」と呼ばれ命を狙われている。しかし人間からもデアボリカであるために恐れ疎まれ、定住できず放浪の旅を続けている。火炎王から、本性は殺戮と怠惰なのは確かなのだから同族殺しをやめて戻って来い、と言われているが従おうとはしない。そんな放浪の旅の途中に出会った少女レティシアに恋をした事から、永遠を生きるアズライトが輪廻の輪の中で転生を繰り返すレティシアとの安息の地を求めてこの世界をさすらう事になる。
必殺技は「腐敗」と「永夢籟(トムライ)」で、アズライトのみ必殺技を2つ有している。
ロードデアボリカをも統べる存在である、今代の薹霊(とうち)候補の一人でもある。
レティシア
本作のヒロインで、ゲーム外での通称は"れち子"。ある田舎町で男達の慰み者として酒場の主人に飼われていた少女。赤ん坊の時に捨てられていたのを酒場の主人に拾われ育てられたと本人は言っているが、実態は食事と寝床が与えられただけの奴隷扱いだった。そしてデアボリカを恐れる町の人々は彼女をアズライトの元へ連れて行き、レティシアを自由にする代わりに他の人々に手を出さないように言って、置き去りにする。それまでの町の人々の扱いから、最初はアズライトにただ怯えるだけだったが、町の人々とは違うアズライトの優しさに惹かれていき、やがて相思相愛の関係になる。
その後は輪廻転生を繰り返していくうちに、前世の記憶を保持したまま転生出来る様になっていく。

[編集] アズライト以外のロードデアボリカ
火炎王(かえんおう)
ロードデアボリカの一人で、炎のデアボリカ。
月姫と桜姫を従え、事あるごとにアズライトにちょっかいを出して来る、熱さと冷静さを兼ね備えた大男。必殺技は「火球」。
容姿は隻眼隻腕で白髪の巨漢。過去にアズライトによって片目を潰され腕を引きちぎられた。現在右腕には5本の人間の細腕が生えている。
人間形態時は白スーツに右手を赤いマントで隠している。
アズライトと同じく、今代の薹霊候補の一人である。
ファトラ
ロードデアボリカの一人で、雲のデアボリカ。ロードデアボリカ達のまとめ役であり、彭祖と同じくロードデアボリカの中でも古株でオールドデアボリカと呼ばれている。ロードデアボリカの紅一点でもある。必殺技は「結晶(石化)」。
彭祖(ほうそ)
ロードデアボリカの一人で、房中のデアボリカ。ファトラと同じく古株のオールドデアボリカであり、かつてはデアボリカの王であった。飄々とした性格で、始終性欲を発散させているためえろじじい扱いされている。必殺技は「享楽(攻撃力3倍増強付与)」。
ゴルドー
ロードデアボリカの一人で、光のデアボリカ。5人の中では最も新米で、それ故純粋さをまだ持っている。
火炎王に憧れを抱いているが、火炎王はアズライトに執着心を持っているが故、そして属性が対極であるアズライトを敵視する。
必殺技は「煌刃(巨大な刃)」。

[編集] 凶
月姫(げっき)
火炎王の凶。桜姫とは姉妹であり活発な性格。記憶を捨てたアズライトと火炎王の争いに巻き込まれて瀕死となった所、火炎王により凶となる。桜姫の双子の妹であり、火炎王を父と慕う。
桜姫(おうき)
アズライトの凶。月姫の姉でおとなしいが芯の強い性格。
記憶を捨てたアズライトと火炎王の争いに巻き込まれて瀕死となった所、アズライトにより凶となる。
しかし凶を好まないアズライトに捨てられたために彼に憎しみを抱き、時には執念深い一面も見せる。普段は月姫と共に火炎王に付き従っている。
アリア
アズライトの凶。元々は月姫以上に活発な明るい性格で、アズライトがデアボリカである事を承知の上で何かにつけてはアズライトの世話を焼いていた娘。月姫と桜姫が作成した人形に殺されるが、その死を悲しむアズライトによって凶化される。凶化してからは感情が無くなっていたが、レティシアとの友情が育まれるにつれ元の明るい自分を取り戻していく。
人間時も凶化後もトンファーを武器として戦う。作品中一番の人気キャラ。
刻風(こふう)
彭祖の凶。資産家の娘であったが、両親の死後叔父に殺されかけ、瀕死の状態で放置されていたところを彭祖によって凶にされた。凶化した後も性格は全く変化しておらず、優しい心の持ち主である。
八房(やつふさ)
ファトラの凶。凶になる前は刻風の飼い犬だったが、刻風と共に瀕死の状態で放置されていたところをファトラによって凶にされた。凶となってからも元々の主人である刻風に対しても忠誠を誓っている。
ジュモルチエル
ゴルドーの凶。金髪縦ロールで、いつも裸身を晒している。

デアボリカ
不老不死で、この世界の絶対支配階級種族。5人のロードデアボリカを頂点に、24デアボリカ・デミデアボリカ・モノデアボリカなどの中下級デアボリカと、ピラミッド型のヒエラルキーを形成している。絶対的な力を持っており、人間にとっては畏怖の対象そのもの。
凶を創る能力は24デアボリカ以上が所有。ロードデアボリカに空席が出ると24デアボリカより一人がロードに昇格する。
ビーシ イズミル サイド トレハ シェブロ マイラー ホウオウ マドレーヌ マルチビ チャー ピナクル マックス エデン 恋のラジオ 桔梗ナビ 桜桃 セリ対策 テナント メンタル スペー パワー あぴお スタート ジョイ ナビゲ レバー支援 トルマン アポク オフライ フォートラン まっち レンゲ ブラウザー ビネガ ナイト テオプ ふぁんでる ヨットパ まぜり タイザー チケット サラシア 秋の夕暮れ ジンギ スタンス ロールフ えせん バック オイディ コスト

凶(まがき)
デアボリカに噛まれた者達。元は人間や動物など様々で、凶になると戦闘力が大幅に上がり、不死ではないがそれに近い存在となる。人間が凶になるとケモノ耳となる。凶にした際のデアボリカの気分次第で性質も変わり、基本的に凶化したデアボリカに絶対服従だが、戯れに凶化された者は野良になることもある。上級と下級の二種類に別れ、血を吸って作られたのが上級であり、爪を打ち込むという簡易な方法で作られたモノが下級である。下級のものは上級のものと比べ「知性が無い」「異形」等のまさに獣のごとき特徴がある。

2009年01月27日

ホーカー ハンター

ホーカー ハンター (Hawker Hunter) とはイギリスの航空機メーカーホーカー・シドレー社で開発され、各国で使用されたジェット戦闘機である。イギリス空軍の戦闘機であるグロスター ミーティアの後継機として開始された。1960年代に戦闘機としての役目を終えたが、対地攻撃機型が1970年まで運用された。

航空省が発行した仕様書E.38/46のためにシドニー・カムはホーカー P.1052を設計し、これはホーカー シーホークの翼を後退翼に修正した機体であった。1948年に初飛行を行ったが、政府や軍に採用されなかった。しかし、シドニー・カムはP.1052の開発を生かして白昼ジェット要撃機を求める仕様書F.43/46の要求を満たす新たな戦闘機の開発に取りかかった。まず最初に機首にインテークを配置した試作機が製造された。これは速度の向上に繋がったが、インテークを主翼の根元に配した従来の双ブーム式と比較した際にレーダーの搭載や兵装搭載力に劣った。最終的に安定性を懸念された結果、双ブーム式が選択され、P.1067の名称がつけられた。この機体にはロールス・ロイス製のジェットエンジン、ニーンよりも一回り小さくて出力の大きいエイヴォンを搭載した。

1951年7月20日にエイヴォン Mk. 107 エンジンを搭載して初飛行した。政府側からバックアップとして他社のエンジンを搭載するよう要請を受けたため、1952年11月30日にはサファイアを搭載した試作機が初飛行した。補給省は初飛行に先立つ1950年3月にハンターと命名して、生産を決定した。部隊配備は1954年7月からイギリス空軍で開始された。

ハンターは機動性が良く、ADEN 30 mm機関砲を4門搭載し火力も強力であった。初期型ではトラブルも続出したが、改良されたエイヴォンを搭載したF.4型以降は元来の堅実な設計も相まって非常に信頼性に富んだ機体となった。

配備と運用
ハンターが登場した時期にはアメリカ合衆国やソビエト連邦で超音速の機体が開発・実用化されつつあり、亜音速のハンターは速度の面では同時期の機体に劣っていた。しかし、低空での機動性の良さや兵装の搭載量が多い点を買われ、対地攻撃機として運用された。また、ベルギー、オランダ、スウェーデン、スイス、インド、ペルー、シンガポール、レバノン、オマーン、クウェート、ローデシア(のちジンバブウェ)、ソマリア、ケニア、チリ等多くの国で使用された。

主翼を改良しリヒート付きエイヴォンを搭載した超音速型ハンターのホーカー P.1083も計画されたが、試作機を製作中の段階で、より高速を目指すP1(後のイングリッシュ・エレクトリック ライトニング)の計画が存在したため、予算の制約からホーカー P.1083の開発は1953年6月に中止されてしまった。


派生型
曲技飛行の訓練を行う第43飛行隊のハンター F.4
第229機種転換部隊のハンター F.6 イギリス

P.1067 : 試作機
P.1101 : 複座訓練機の試作機
ハンター F.1 : 初期量産型。エイヴォン 113を搭載。1953年3月16日に初飛行。139機製造。
ハンター F.2 : サファイア 101を搭載。1953年10月14日に初飛行。45機製造。
ハンター F.3 : アフターバーナー付きエイヴォン RA.7Rを搭載。エアブレーキを追加。ノーズやキャノピーを変更された。
ハンター F.4 : F.1に翼内燃料ブラダー(タンク)、増槽を追加。燃料・弾薬供給系を整備。エイヴォン 115 (PA.21)装備。1954年10月20日に初飛行。349機製造。
ハンター F.5 : F.4のエンジンをサファイア 101に換装。
ハンター F.6 : 前縁を改良した新型主翼を採用。ハードポイント追加。エイヴォン 203搭載。1954年1月22日に初飛行。384機製造。
ハンター F.6A : FGA.9の強化された主翼を採用。
ハンター T.7 : 並列複座型練習機。サイド・バイ・サイドの配置にするためノーズを変更。
ハンター T.7A : イギリス空軍のブラックバーン バッカニア向け複座練習機。
ハンター T.8 : T.7にアレスター・フックを装備させたイギリス海軍向け複座練習機。
ハンター T.8B : イギリス海軍のバッカニア向け複座練習機。
ハンター T.8C : イギリス海軍のバッカニア向け複座練習機。
ハンター T.8M : イギリス海軍のBAe シーハリアー向け複座練習機。シーハリアー同様にブルーフォックスレーダーを装備。
ハンター FGA.9 : F.6を単座戦闘攻撃機にしたイギリス空軍機。
ハンター FR.10 : FGA.9の単座偵察機。
ハンター GA.11 : イギリス海軍の単座兵装訓練機。フックとハーレー・ライトを装備。40機のF.4がGA.11に改装された。
ハンター PR.11 : イギリス海軍の単座偵察機。ライトをカメラに換装。
ハンター Mk.12 : RAEに送られた複座試験機。1機製造。

採用国
ハンター F.58 アブダビ
ベルギー
チリ - 1973年9月11日にクーデターを起こしたピノチェト将軍側に立ち、アジェンデ大統領が立てこもる首都サンティアゴのモネダ宮殿(大統領官邸)を空爆した。近代化改修が行なわれて、1980年代まで現役であった。
デンマーク
イラク - イラク革命前にイギリスから購入。革命後はインドの支援を受けて運用していた。六日間戦争及びヨム・キプール戦争に出動するが、大きな損害を蒙る事が多かった。
インド - 印パ戦争の際は、インド空軍のハンターはパキスタン空軍のF-86 セイバーやF-104 スターファイターと交戦。
ヨルダン - イラク同様、六日間戦争及びヨム・キプール戦争などに出動。現在は退役している。
ケニア
クウェート
レバノン - レバノン内戦に出動したがイスラム教ドルーズ派民兵によって撃墜されている。内戦終結後にはオーバーホールと近代化改修が行なわれた模様だが、実際には運用されておらずグラウンド状態にあると考えられる。
オランダ
オマーン
ペルー
カタール
ローデシア - ローデシア紛争においてCOIN作戦に従事した。
サウジアラビア
シンガポール
ソマリア - 1980年代にバーレ政権(当時)が旧ソ連の影響下から旧西側に移行した際、Mig-21など旧ソ連製主体の空軍戦力を補うためにオマーンから少数のハンターを購入。Mig-21よりも旧式であったため、パイロットからは不評を買っていたともいわれる。ソマリア内戦によってソマリア空軍は崩壊し、同空軍のハンターはスクラップになって放置されている。[1]
スウェーデン
スイス
ジンバブエ - 旧ローデシアの機体を継承。しかし、すでに旧式であった事からJ-7などに変更され、現在は保管中。
ユーティ つくだ ジャー まんご アンプ マガジン マッコリ だいせん センダン チコリー ノアアク フェイント ホーム フロッタ マリ幸運 ナンヨウ ジブル おれが オーシャ ディフェ メッシュ ナツユ ふくべそ しもごう ギャルド リング リビア キウイフル ローティー ニュース ニアピン モーター ジュアル マイナー ガント ビーム ツーリズム レクラニ ハイフ センサ メチエ バイパス クール おたる ビリー ジャンプ トロール モホス プチトマト はかま

スペック (F.6)
ハンター T.7 "ブルー・ダイヤモンド"出典: The Great Book of Fighters[2]

諸元
乗員: 1名
全長: 14.00 m (45 ft 11 in)
全高: 4.01 m (13 ft 2 in)
翼幅: 10.26 m (33 ft 8 in)
翼面積: 32.42 m2 (349 ft2)
空虚重量: 6,405 kg (14,122 lb)
運用時重量: 8050 kg (17,750 lb)
最大離陸重量: 11,158 kg (17,750 lb)
動力: ロールス・ロイス エイヴォン 207 ターボジェット, 45.13 kN (10,145 lbf) × 1
性能
最大速度: 1,150 km/h (マッハ 0.94, 620 ノット)
フェリー飛行時航続距離: 3,060 km (1,650 海里)
航続距離: 715 km (385 海里)
実用上昇限度: 15,240 m (50,000 ft)
上昇率: 87.4 m/s (17,200 ft/min)
翼面荷重: 251.9 kg/m2 (51.6 lb/ft2)
推力重量比: 0.56
武装
ガン・パック(着脱式):30 mm ADEN リヴォルヴァーカノン(各 150 ラウンド)
ペイロード:3,400 kg (7,400 lb)
ハードポイント:4箇所、下記の武装いずれかか増槽、無誘導爆弾などを装備可能。
ミサイル: AIM-9 サイドワインダー 4発、あるいはAGM-65 マーベリック 4発
ロケット弾:マトラ SNEB 68 mm 18連装ロケットポッド4基、あるいはイスパノ R80 80 mm ロケット 24基
アビオニクス
EKCO社製測距レーダー